ビビり。
雨降ってる音の方が落ち着く。
僕はなんとなく自分以外の人の感情に敏感、というか顔色を見破るのが得意。
顔色を伺いながら育ってきたからかもしれないけど、たまにはそれも役に立つ。
あの人なんとなく気がかりだな、とか。
だから例えば、その気がかりな人が散歩に行くと言えばとりあえずついて行ってみる。気がかりな人がごはんを作ってくれたらとにかく食べる。気がかりな人が話してくれるならおしゃべりをする。
それぐらいしかできないけど、帰りにその気がかりな人が少しでも笑ってると僕は少し安心する。
僕は朝方に眠り始める。
家族のみんなが無事に朝を迎えて起きたのを確認してから。
それは僕が怖がりだから。家族の誰も死んでないか確認しないと眠れない。
僕はとにかくビビりで心配性というか怖がりだ。
だから明日も気がかりな人は少しでも笑ってるか、家族みんなが無事生きているか、心配しながら一晩過ごす。
みんな、僕より長生きしろよ。
4月3日
本当にお久しぶりの更新です。
ご存知かと思いますが生きています。
ただここを更新できるほどの暮らしをしていなかったのでなかば放置していました。
すみません。
僕は2年前から1週間に1日だけ、しあわせな日ができました。
その日だけを楽しみに1週間を生きています。
2年前のあの日が無かったら、正直、今僕が生きていたかは微妙です。
1週間に1度、充電をするのです。
でもこの2年の間にいろいろなことがありました。うれしいことはもちろん、悲しいことも、寂しいことも、つらいことも。
でも結局、充電をすれば元通りになるんです。また1週間を生きていける。
そうやって繋ぎ繋ぎ生きてます。
もちろんお薬は飲んでますけど。
去年の11月だっけ、久しぶりにほんとに死にたくなって腕を切りました。腕切ったぐらいじゃ死ねないけどね。
その時に僕が何気なく「ゴミ捨ててくる」とLINEしたのです。これはほんとに普通にゴミ出しに行く、という連絡だったのですが。
この「ゴミ捨ててくる」を死ぬ気だと思って、平日明日も仕事があるし、雨だって降ってるし、もうお風呂だって入ってるのに、すごい勢いで車を飛ばして僕が死んでないかと泣きながら家に来てくれたあの日、僕を抱きしめながら生きててよかったほんとによかったと泣いているあの人を見た時、僕は「死んじゃだめなんだな」と思いました。
僕はこの人を泣かせるようなことはしてはいけないなと思いました。
この人はよく言うのですが「キチハルにはいろんなことを見せてあげたいし、いっしょに体験したりしたいんだよ、ごはんだって美味しいって思ってもらいたい」
そんなこと、うちの親は欠片も言ったことねえな。
腕切ったって「またか」ぐらいだし。
滅多に人のことは信じないけど、僕はこの人を信じることにしました。
ちょっと頼りないときもあるけど、僕はこの人を掛け布団にして眠るのがいちばん安眠できるのです。僕はこの人の服の匂いが落ち着くのです。
何よりこの僕を2年も見捨てないでいてくれたことにありがとうと言いたいのです。
この間ふとあの人は、2年前にあんな形で出会うなんて巡り合わせでしかないよね、と言っていました。ほんとに巡り合わせだとしたら、今までの僕の人生の不幸はこの為のものだったのかもしれません。
今年も同じ桜の前で2人で写真を撮ることができました。
来年も撮れますように。
抗うつ剤と周りの人と
久しぶりにものをきちんと食べました。
お久しぶりです。相変わらずついったには浮上できていません。
絵はほんとに少しずつ書いています。情けないぐらいほんとに少しずつ。
春雨スープを1日に1回ぎりぎり食べて、あとは眠るだけ、ぐらいの暮らしをしていました。今日(昨日)まで。
ジェイゾロフトは倍の50mgになり、副作用の吐き気に悩まされる夜中。
その苦しみと引換えに少しだけ浮上する脳。
通院は週1になり、炭酸水で眠剤飲むのが当たり前になりつつある。
リスカする気力も発想もない。
それにもうリスカはしない。たぶん。いろんな人の為にも。
来月ははじめましての病院に行ってみることになった。そこは発達障害も診てくれる病院。
おかんがおかんのかかりつけ医に相談したら、あっさり答えが出た。
おかんとおばちゃんはとにかく食べさそうと頑張ってくれるから申し訳ない。
いろんな人に心配かけて申し訳ない。
でも、今日食べられたから明日からは少しずつ食べられるはず。(あの人の魔法、の可能性はあるけどね。)
今日はあの人に会えたのも大きいと思う。
あの人は将来の話をしていた。遠い先の話だけど、叶えたい話。
抗うつ剤も効いてきてる気がするし、きっともうすぐなんとかなる、はず。
そう信じるしか、生きていけない。
今夜は髪に残ったあの人の匂いで眠ります。
おかんとおとん
おかんは昔から僕の自傷行為も知っていたし不眠症も気づいていたと思う。拒食も。
おとんは自傷行為も知らない(今も知らない)し、軽い不眠症だろうぐらいにしか思ってなくて、拒食は知らない。
中2のときに飛び降り未遂はしたけれど、2人共、いじめがおさまればなんとかなると思っていたのかもしれない。結局いじめはおさまらずに僕は卒業式に出られなかった。
幼稚園から特定の所謂お友達のいない子だったけど、おかんは「おかんもそうやったから、いつか1人ぐらいできるから大丈夫」そう言って片付けていた。尚、特定のお友達はいないまま、今に至る。
大学をどうにか卒業して地元に帰ってきて数年、どんどん体も心も壊れていった。気づいているのは僕だけだった。目に見えないからね。おかんからすれば「痩せたな」ぐらいかな。
初めてお脳の病院に行かせてくれとお願いするまでに結局2年を要した。このままだと死ぬと思う、と。
どこがいい病院なのかもわからず、おかんもいっしょに調べてはくれないので自力で調べてみたけどそこは地雷だった。4ヵ月で通院はやめた。そこからまた何ヶ月か病院探しの日々を過ごす。全て1人で。おかんはまだそのとき、深刻には思っていなかったと思う。それこそそのうち治るとかね。
新しい病院ができることを知った僕はそこに賭けてみることにした。それが今通っている病院。初診日、診察室におかんも呼ばれた。せんせは前の通院中の話、普段の様子、飲んでも意味なかった薬、等々から僕は「双極性障害」であると判断した。
あっさり言われたこの言葉、僕は「そっか。」ぐらいだったけどおかんはどう思ったんだろう。
「アスペルガー症候群からの二次障害ですね。何か引き金になることはありませんでしたか?」僕はいじめなのか両親の不仲が幼少時から続いていたことなのかどれなのか、正直今もわかってない。
おかんは聞き慣れない「アスペルガー症候群」とか「双極性障害」とかにただぼんやりしていた。
この間ようやくアスペルガーの本を読んで少しわかってくれたみたいだけど。
双極性障害の本は読みかけてそのままになってる。
自立支援やら手帳やら年金やらを申請することにようやく話が進んで、僕のいないところでおとんとおかんによる家族会議が開かれたらしい。
それもどうなの、って思うけど。
おかんとおとんはその時、一体どんな話をしたんだろう。僕は知らないまま。
手続きは徐々に進んで、とりあえず自立支援は確保。年金は暖かくなってくる頃に結果が出るんじゃないかと思う。
もし、おかんとおとんの心に僕のせいで影ができたとしたら、負担が増えたとしたら、僕は早急に2人から離れなければいけないと思っている。
僕は高齢出産の子供なのでおかんもおとんも、もうそんなに若くない。
できることなら負担は減らしてあげたい。
その方法を最近ずっと考えている。
再びの青春18切符
食いだおれてきた。
そんなに遠出はしてないけど。
電車に揺られると午前中はどうしても眠くなる。半分寝たまま揺られ続けて大阪。
食べたことないもの、行ったことない所、とにかく自分に刺激を与える。
昨日から飲み始めたジェイゾロフトで昨夜はろくに眠れなかったけど。
ジェイゾロフトは効くまでかかるけど、こういう刺激は速効性があると信じてる。効き目は短いかもしれないけど、必ず効いてくれるはず。
そう信じて明日こそパネルに向かおうと思う。
じゃないと締切がやばい。
ずっと部屋にある真っ白なままのパネル。
埋めてやる。
眠りに落ちる前に
泣いてばっかりです。最近涙腺が弱くて困る。
さよならのとき
おどろいたとき
かなしいとき
さみしいとき
こわいとき
とにかくすぐに涙が出てしまう。
情緒不安定さは相変わらずで、ワイパはラムネでどうしようもなくて、鼻血出るほど鼻かんで、涙拭いて目が痛くて。
朝っぱらからセパゾン飲んで夜もセパゾン飲んでずーっとぼんやりさせてるはずなのに涙の琴線だけはめちゃくちゃ敏感。
眠っている間だけ、何も考えなくて済む。
眠っている間だけ、泣かなくて済む。
眠っている間だけ、LINE気にしなくて済む。
眠っている間だけ、怖いものはない。
眠っている間だけ、眠っている間だけ、眠っている間だけ、眠っている間だけ、眠っている間だけ、眠っている間だけ、眠っている間だけ
3、4時間しかないその無意識が今の僕には大事で仕方ない。
できれば1日無意識でいたい。
こんなに泣くぐらいなら眠っていたい。
初詣
僕は神様とかおみくじとかをものすごく信じる。
今日は三社参りに行ってきた。
去年から毎年2日にあの人と行っている。
あの人は神様とかあんまり信じないタイプらしいけどその割にお作法に詳しい。
そしておみくじをひかない。
僕はおみくじひきまくるけどね。
僕らは縁結びのお守りをやたらと買う。
信じないタイプの割に買うあの人。
僕らはどこかで「離れてしまわないように」常に気にかけているのかもしれない。
毎日お揃いのペンダントを付けているのもそういう理由なのかもしれない。
この間の名古屋旅行でも買ったし、そういう由緒のあるお寺に行った。
石燈籠みたいなところに、手を突っ込んで握り合う、というのをしたけど2人して笑ってしまうぐらい必死に握り合った。
傍から見れば滑稽だと思う。でも僕らは至って真剣だ。
僕の携帯は今、さながら神様達の大乱闘スマッシュブラザーズだけどこれで守ってもらえる気がしている。「離れてしまわないように」
あの人もいくつかは携帯に付けていた。
やっぱり「離れてしまわないように」そう思ってるんだろうか。
さっき何気ない話をしていたときにふと、自分はどこまで生きられるのだろう、と考えてしまって涙が出てしまった。
自死のことを考えたからだ。
あの人は笑いながら言った「1人にしないでね」
気をつけるよ。でもどうしても自死のことは頭をよぎる。
日付が変わって3日、僕らの記念日。1年と9ヵ月になる。4月になれば2年。
「離れてしまわないように」
あの人がさっき言っていた「2年どころじゃないよ、何年も何年も重ねてくんだよ」
離れてしまわないように、重ねていけますように。
僕は今、あの人に貸してたマフラーが今日返ってきたので、あの人の匂いをなんとなく感じながらこれを書いている。