HAL_9000

メンヘラクソニートのおはなし

僕が狂っていくきっかけと今

 

僕は幼稚園から周りに馴染めずクレパスを折って1人遊んでいた。幼稚園の入口で大泣きしながらおかんから引き剥がされていた。

僕は小学校からいじめのターゲットになっていた。(発達障害だからひょっとしたら周りに迷惑をかけていたのかもしれない。)

小学校の宿題をしているとたまに帰ってくるおとんが「消しゴムの使い方が悪い」と怒鳴る。「字が汚い」と怒鳴る。僕は泣きながら宿題をしていた。(だから今でも怒鳴るやつのことを馬鹿だと思う。)

小5の時、両親が別居し、僕はおかんと共におばちゃんとこに避難した。別居の理由はおとんの浮気。毎晩ラルクのDIVE TO BLUEを聞き泣きながら眠っていた。

その時におとんに無理矢理携帯を持たされたのを覚えている。

小中一貫校だったので小学校でのいじめもそのままスライド。

いじめは酷くなるばっかり。

中学では教師によるいじめも体験した。(どちらかと言えば今に響いているのはこっちかもしれない。)

結局僕は中3で学校に行けなくなり、卒業式にも出席できなかった。

この時、おとんは僕を見殺しにした。それも自分の「体裁」の為に。仕事の為に。

やってもないことをなすりつけられ、校長室で夜8時過ぎまでいろんな先生達に囲まれ詰問され続けた。誰も僕をかばってくれる大人はいなかった。悲しかった。ただ単純に悲しかった。

飛び降りようとして失敗した。

それでもおとんは僕を見殺しにした。

ありがとう、おとん。

あなたのおかげで僕は壊れました。

 

人間不信。不眠。自傷。拒食。

 

高校でも結局人間不信が先に出て友達ができないまま3年が過ぎたしもちろん、いじめのターゲットにもなっていた。体重は20kg近く落ちた。未だにそれは戻らない。拒食が治っていないから。

大学。さすがに地元を離れた大学なら大丈夫だろうと油断していた。結局ほとんど誰とも話さないまま、4年が過ぎていった。

卒業し、地元に戻った。

地元では「いじめられていた相手に会ってしまうんじゃないか」等と不安を抱えながら生きている。だから夜に出かけることが多い。あと平日の昼間。

地元に戻って数年、僕の様子がおかしいことに気づいたおかんは「病院に行こう」と言った。

1軒目の病院はだめだった。一向に治らない。「あなたの努力が足りないからだ」主治医の言葉。

2軒目の病院で双極性障害だとわかった。発達障害もそこでなんとなくわかった。ただ主治医とは合わず3軒目を探すことに。

おかんの主治医に相談したらしい。(精神科じゃないよ。) すると「間違いなく発達障害だし双極性障害は二次障害だと思う。いい先生がいるから行ってみない?」そして今通院している病院に辿り着いた。

主治医は言う。「発達障害はたしかに先天的なものだけど、双極性障害はどこかでトリガーになることがあったはず」

僕は間違いなくあの時だと思ったし、おかんもあの時だと思ったらしい。

僕は今も結局自傷も拒食もやめられない。

不眠もこの頃また酷くなった。

おかんに申し訳なくて仕方ない。

おとんに対してはただただ死ねと思っている。

ちなみにおとんは今も僕が発達障害なのも双極性障害なのも知らない。呑気に自分の「体裁」だけを気にして生きている。

殺しておけばよかった。少年院で済む歳に。

いや、今でも別に構わないけど。

おかんも僕も自由になれるのは、それしかないと思う。

自分で狂っているのはわかっている。

でも僕は一生おとんを恨み続けるし殺したいと思い続ける。