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HAL_9000

メンヘラクソニートのおはなし

お祓い日和

相手の都合上半月会わなかった。

連絡はそれなりに取っていたけど。あくまでもサポート要員として。

 

その間に僕の体調はどんどん悪くなり煙草は増え、ものを食べることができなくなった。

絵を書くこともできない。

僕は何なのか。

こんなにしんどいなら1人のほうがマシかもしれないとさえ思った。

 

土曜日、半月ぶりに会った。

僕はここで終わりにする可能性もあるなと思いながら出かけた。

会ってもどうしていいかわからなかった。

どう接したらいいのかわからない。

電車に揺られながら海だけを見てた。

 

とりあえず2人で厄祓いをしてもらった。

 

長らくちゃんとものを食べてなかったので苦しいなと思いながら、それでも美味しかった。

2人でものを食べることで少し距離が掴めたというか、肩の力は抜けた。

 

なんとなく、元の距離に近づいた気はする。

 

帰りの電車の中でくだらない会話ができた。

前みたいに。

大丈夫。たぶん大丈夫。

夜道、公園、2人乗り

クッソいろいろあるけど僕は君を守るし助ける。

 

今日、あの時、一緒に居なかったら、

今日、あの時、手を繋いでもらっていなかったら、

今日、あの時、あの電車がこっち側を走っていたら、

僕は飛び込んでいた。間違いなく。

 

感情がぐちゃぐちゃで僕自身、もうどうしていいかわからなかった。涙が止まらなかった。

ここ数日のとんでもないことで君がいちばんぐちゃぐちゃなはずなのに、僕もぐちゃぐちゃで。

支えるはずが支えられてる。これじゃだめだ。

 

泣きやまない僕をブランコに乗せてくれた。2人乗り。

ゆらゆらどころか思いっきり漕ぐ君に自然と笑ってしまった。

僕にはこの人しかいない。

この人じゃなきゃだめなんだと思った。

この人と生きるなら、生きていたいと思った。

 

僕は君に守られてる。支えられてる。

僕も君を守る。支える。

これからはそうやって生きていく。

 

結婚ってなんだよ。

「結婚なんて一生しねえよ。」

2年前までの僕はずーっと小さい頃から言っていた。聞かれなくても言っていた。

僕が育った家庭環境はそんなに良いものではなくて(別居も経験したし)そもそも結婚というものに興味が無かった。

だから考えたこともなかったし、同級生が結婚しても「地獄だろーな」ぐらいに思っていた。実際、速攻で離婚してる同級生も多いしね。

それに僕の人生の目標のひとつに「僕の血を継ぐ人間は生み出さない」がある。

僕の一族は僕で終わり。これは今でも思っていること。

 

ただひとつ、揺らぐことができてきた。「結婚」について。

あの人は僕と「お付き合いをする」となった時に「結婚前提で」という話だった。だから一度、申し訳ないがお断りした。それでもあの人は「中途半端な気持ちであなたとお付き合いをするつもりはない」と引かない。

僕は人生で初めてそんなシチュエーションに陥ったのでどうしていいかわからない。

それに知り合ってまだ10日ちょっとだ。

頭がパンク寸前。

結局「よろしくお願いします。」が口をついて出た。

こんな流れであの人と「お付き合い」をすることになった。つまりその先に「結婚」がある。

 

2年経った今となってはあの人は結婚するのは当たり前であとはどのタイミングでするか、ということだけを考えている様子。

婚姻届ももう持ってるし。

当の僕はと言えば、いまだに「結婚」がよくわからない。

でもなんとなくこの人なんだろうな、とは思う。

「子供を産む気はないよ」と言っても「それは少し寂しいかもしれないけど、2人で暮らしていければ別にいいよ。」と返ってくる。

「結婚」ってなんなんだろ。「一緒に暮らす」だけではないのよね。

なんか、しがらみ的なものがあるんだろうか。今からいろいろ考えてるとめんどくさくなってくる。

 

結婚した人ってなんで結婚したんだろ。

ビビり。

雨降ってる音の方が落ち着く。

 

僕はなんとなく自分以外の人の感情に敏感、というか顔色を見破るのが得意。

顔色を伺いながら育ってきたからかもしれないけど、たまにはそれも役に立つ。

あの人なんとなく気がかりだな、とか。

だから例えば、その気がかりな人が散歩に行くと言えばとりあえずついて行ってみる。気がかりな人がごはんを作ってくれたらとにかく食べる。気がかりな人が話してくれるならおしゃべりをする。

それぐらいしかできないけど、帰りにその気がかりな人が少しでも笑ってると僕は少し安心する。

 

僕は朝方に眠り始める。

家族のみんなが無事に朝を迎えて起きたのを確認してから。

それは僕が怖がりだから。家族の誰も死んでないか確認しないと眠れない。

 

僕はとにかくビビりで心配性というか怖がりだ。

だから明日も気がかりな人は少しでも笑ってるか、家族みんなが無事生きているか、心配しながら一晩過ごす。

 

みんな、僕より長生きしろよ。

4月3日

本当にお久しぶりの更新です。

ご存知かと思いますが生きています。

ただここを更新できるほどの暮らしをしていなかったのでなかば放置していました。

すみません。

 

僕は2年前から1週間に1日だけ、しあわせな日ができました。

その日だけを楽しみに1週間を生きています。

2年前のあの日が無かったら、正直、今僕が生きていたかは微妙です。

 

1週間に1度、充電をするのです。

 

でもこの2年の間にいろいろなことがありました。うれしいことはもちろん、悲しいことも、寂しいことも、つらいことも。

でも結局、充電をすれば元通りになるんです。また1週間を生きていける。

そうやって繋ぎ繋ぎ生きてます。

もちろんお薬は飲んでますけど。

 

去年の11月だっけ、久しぶりにほんとに死にたくなって腕を切りました。腕切ったぐらいじゃ死ねないけどね。

その時に僕が何気なく「ゴミ捨ててくる」とLINEしたのです。これはほんとに普通にゴミ出しに行く、という連絡だったのですが。

この「ゴミ捨ててくる」を死ぬ気だと思って、平日明日も仕事があるし、雨だって降ってるし、もうお風呂だって入ってるのに、すごい勢いで車を飛ばして僕が死んでないかと泣きながら家に来てくれたあの日、僕を抱きしめながら生きててよかったほんとによかったと泣いているあの人を見た時、僕は「死んじゃだめなんだな」と思いました。

僕はこの人を泣かせるようなことはしてはいけないなと思いました。

 

この人はよく言うのですが「キチハルにはいろんなことを見せてあげたいし、いっしょに体験したりしたいんだよ、ごはんだって美味しいって思ってもらいたい」

 

そんなこと、うちの親は欠片も言ったことねえな。

腕切ったって「またか」ぐらいだし。

 

滅多に人のことは信じないけど、僕はこの人を信じることにしました。

ちょっと頼りないときもあるけど、僕はこの人を掛け布団にして眠るのがいちばん安眠できるのです。僕はこの人の服の匂いが落ち着くのです。

何よりこの僕を2年も見捨てないでいてくれたことにありがとうと言いたいのです。

 

この間ふとあの人は、2年前にあんな形で出会うなんて巡り合わせでしかないよね、と言っていました。ほんとに巡り合わせだとしたら、今までの僕の人生の不幸はこの為のものだったのかもしれません。

 

今年も同じ桜の前で2人で写真を撮ることができました。

来年も撮れますように。

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抗うつ剤と周りの人と

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久しぶりにものをきちんと食べました。

お久しぶりです。相変わらずついったには浮上できていません。

絵はほんとに少しずつ書いています。情けないぐらいほんとに少しずつ。

春雨スープを1日に1回ぎりぎり食べて、あとは眠るだけ、ぐらいの暮らしをしていました。今日(昨日)まで。

ジェイゾロフトは倍の50mgになり、副作用の吐き気に悩まされる夜中。

その苦しみと引換えに少しだけ浮上する脳。

通院は週1になり、炭酸水で眠剤飲むのが当たり前になりつつある。

リスカする気力も発想もない。

それにもうリスカはしない。たぶん。いろんな人の為にも。

来月ははじめましての病院に行ってみることになった。そこは発達障害も診てくれる病院。

おかんがおかんのかかりつけ医に相談したら、あっさり答えが出た。

おかんとおばちゃんはとにかく食べさそうと頑張ってくれるから申し訳ない。

いろんな人に心配かけて申し訳ない。

でも、今日食べられたから明日からは少しずつ食べられるはず。(あの人の魔法、の可能性はあるけどね。)

今日はあの人に会えたのも大きいと思う。

あの人は将来の話をしていた。遠い先の話だけど、叶えたい話。

抗うつ剤も効いてきてる気がするし、きっともうすぐなんとかなる、はず。

そう信じるしか、生きていけない。

 

今夜は髪に残ったあの人の匂いで眠ります。

 

おかんとおとん

おかんは昔から僕の自傷行為も知っていたし不眠症も気づいていたと思う。拒食も。

おとんは自傷行為も知らない(今も知らない)し、軽い不眠症だろうぐらいにしか思ってなくて、拒食は知らない。

 

中2のときに飛び降り未遂はしたけれど、2人共、いじめがおさまればなんとかなると思っていたのかもしれない。結局いじめはおさまらずに僕は卒業式に出られなかった。

 

幼稚園から特定の所謂お友達のいない子だったけど、おかんは「おかんもそうやったから、いつか1人ぐらいできるから大丈夫」そう言って片付けていた。尚、特定のお友達はいないまま、今に至る。

 

大学をどうにか卒業して地元に帰ってきて数年、どんどん体も心も壊れていった。気づいているのは僕だけだった。目に見えないからね。おかんからすれば「痩せたな」ぐらいかな。

初めてお脳の病院に行かせてくれとお願いするまでに結局2年を要した。このままだと死ぬと思う、と。

どこがいい病院なのかもわからず、おかんもいっしょに調べてはくれないので自力で調べてみたけどそこは地雷だった。4ヵ月で通院はやめた。そこからまた何ヶ月か病院探しの日々を過ごす。全て1人で。おかんはまだそのとき、深刻には思っていなかったと思う。それこそそのうち治るとかね。

新しい病院ができることを知った僕はそこに賭けてみることにした。それが今通っている病院。初診日、診察室におかんも呼ばれた。せんせは前の通院中の話、普段の様子、飲んでも意味なかった薬、等々から僕は「双極性障害」であると判断した。

 

うつ病は治りますけど、双極性障害に完治はありません。」

 

あっさり言われたこの言葉、僕は「そっか。」ぐらいだったけどおかんはどう思ったんだろう。

「アスペルガー症候群からの二次障害ですね。何か引き金になることはありませんでしたか?」僕はいじめなのか両親の不仲が幼少時から続いていたことなのかどれなのか、正直今もわかってない。

おかんは聞き慣れない「アスペルガー症候群」とか「双極性障害」とかにただぼんやりしていた。

この間ようやくアスペルガーの本を読んで少しわかってくれたみたいだけど。

双極性障害の本は読みかけてそのままになってる。

 

自立支援やら手帳やら年金やらを申請することにようやく話が進んで、僕のいないところでおとんとおかんによる家族会議が開かれたらしい。

それもどうなの、って思うけど。

おかんとおとんはその時、一体どんな話をしたんだろう。僕は知らないまま。

 

手続きは徐々に進んで、とりあえず自立支援は確保。年金は暖かくなってくる頃に結果が出るんじゃないかと思う。

 

もし、おかんとおとんの心に僕のせいで影ができたとしたら、負担が増えたとしたら、僕は早急に2人から離れなければいけないと思っている。

僕は高齢出産の子供なのでおかんもおとんも、もうそんなに若くない。

できることなら負担は減らしてあげたい。

 

その方法を最近ずっと考えている。